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新潟家庭裁判所 昭和50年(少)1327号 決定 1975年10月06日

少年 H・Y(昭四〇・一・七生)

主文

この事件を新潟県中越児童相談所長に送致する。少年を親権者の意思に反しても教護院に入所させることができる。

少年に対して、昭和五〇年一〇月六日以降三ヵ月を限度としてその行動の自由を制限する強制的措置をとることができる。

理由

1  本件申請の要旨は、少年は昭和四九年五月一日教護院新潟県新潟学園に入所したものであるが、無断外出、窃盗が頻発し、現状においては同学園での指導は限界に達したので、強制的措置をとりうる国立教護院武蔵野学院に入所させ指導する必要があるから、児童福祉法二七条の二により少年に対し強制的措置をとることの許可を求める、というものである。

2  本件記録、当裁判所調査官の報告書、当審判廷における少年の供述を総合すると、次の事実が認められる。

(1)  少年は、知能が低格で、保育所に通つている頃からすでに無断外出などの不適応行動がみられ、就学と同時に窃盗の非行が始まり、昭和四七年(小学校二年時)から特殊学級で学習したが、その後自動車への無賃乗車や遠出、幼児を川に突き落すなどの問題行動が後を断たず、同年一二月養護施設○○寮に入れられ、一時落ち着いたが、昭和四九年三月ころ(九歳時)より、デパート等からの現金窃取が重なり、同年五月一日教護院新潟県新潟学園に収容されたものであるが、同学園入所以来、約五〇回にわたり同学園から無断外出し、無賃乗車、窃盗(約一〇件)を繰り返している。

(2)  少年の両親は、少年が幼少のころから養育に無関心で十分な躾けをしないうえ、両者の折合いも悪く昭和四七年(少年七歳時)離婚し、父は間もなく再婚したが、継母は少年を厄介視するのみで少年に対する愛情は殆んどみられず、そのため、父もまた継母に気がねして少年を施設に預け入れ、現在も放任的態度に終始し、実母はその後少年と接触していない。一方少年は、家庭への帰属意識がなく、現在の家庭では少年に対する強力な監護は期待できない。

(3)  少年は、罪障感に乏しく、性格的にも自己中心的、わがままで、衝動的に行動する傾向が強い。

3  以上少年の知能、性格、経歴、家庭環境等一切の事情を総合すると、少年は低年齢ではあるが、無断外出、窃盗は習癖化しており、現状のままでは、今後もこれらの行動を繰り返すことは十分予想されるところである。そうすると、少年の年齢(一〇歳)を考慮に入れても、この際、少年をその行動の自由を制限しうる国立教護院武蔵野学院に入所させ、教護を受けさせることが必要と認められる。そして、強制的措置をとりうる期間は、本決定の日から三か月を最高限度とするのが相当であると認める。よつて、少年法一八条二項により主文のとおり決定する。

(裁判官 堀田良一)

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